去る5月20日の水曜日、学校指定科目「ふるさと学」の授業の一環で、美郷町にある「鴨山記念館」を、本校の地域創造コースの3年生たちが訪ねました。

あしびきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかも寝む

百人一首にも採られているこの有名な歌は、柿本人麻呂のもの。これだけ有名な歌人でありながら、その正体は謎とされています。史書にほとんど記述がないためです。

鴨山の岩根し枕けるわれをかも知らにと妹が待ちつつあらむ

この「鴨山」が問題でした。いったい鴨山とはどの山のことか。益田説、浜田説、江津説、桜江説、と様々あり(実は「近畿」説も有力)、どれも興味を引かれるものですが、ここ邑智湯抱である、と長年に渡る調査の結果、最終的に結論付け、学会に発表したのがあの斎藤茂吉です。

死に近き母に添寝のしんしんと遠田のかはづ天に聞こゆる(『赤光』)

その他にも多くの有名な歌を残し、精神科医でもあった斎藤茂吉は、当時の交通未発達な島根の山中に、合計7回も訪れました。初めて探査に訪れたのは 昭和5年11月。7度目は昭和23年10月。山形の人間である茂吉が、これほど情熱を傾けた土地が、現在の美郷町は湯抱の地でした。

生徒たちは、鴨山記念館の館長さんのお話に耳を傾け、数多く残されている茂吉の歌碑を見て回りました。鴨山を臨む鴨山公園への「登山」(というのは 大ゲサですが)も行い、ここにもある茂吉の歌碑に触れ、茂吉が見たであろう鴨山を広く眺めました。自分たちの身近にこのような場所があることを知り、郷土 への思いを新たにしてくれたように思います。たいへん有意義な時間を過ごすことができました。また、茂吉の学問に対する情熱にも触れ、学ぶということにつ いても考えさせられた授業となりました。

夢のごとき「鴨山」を恋ひてわれは来ぬ誰も見しらぬその「鴨山」を(鴨山記念館前・斎藤茂吉歌碑)
  

国語科教諭 降井直人